みなさん、シュルレアリスムってよくわからないですよね?
私もよく分からなかったんですが、いろいろなものを読むうちに、少しわかってきた気がするので、ここにまとめて書かせていただきます。
簡単にひとことで言うと、現在、科学的根拠がないとされて一蹴されている「目に見えない何か」や、夜寝た時に見る「夢」など、古来人間が神聖なものだと信じていたものを、人間の根本に立ち返って社会に導入しようとした運動のことです。
「シュール」と国語辞書を引いても、ほとんど反対のことが書いてあったりするので、日本での使われ方と、ここにこれから述べる本来のシュルレアリスムの概念は「別物」と考えて生きていきましょう。そうでないと、やたらめったら「シュール」と言う人に敏感になったりするので、気をつけましょう。
さて、急ですが、幽霊を見たとか、神のお告げを聞いたという人は少ないと思うのですが(笑)、夢を見たことのない人ってなかなかいないと思うんです。
夢の中って、信じられないことやあり得ないことが起こっても、素直に受け入れている自分がいると思います。
そして、夢を見る前段階の眠りにつくとき。あの、寝てるのか起きてるのかわからない、現実と夢の世界がひと続きになっている感覚。
ほとんどの人が体験したことがあると思うので、この感覚はわかってもらえるかと思います。
この「夢か現実か分からない」みたいな感覚を、大昔の人は全て現実と同じように扱っていたのです。
厳密に言うと、夢と現実を区別していなかったんですね。夢と現実世界はひと続きに繋がっているもので、夢の中の出来事がそのまま現実世界の実生活の一部だったのです。
例えば、T塚氏の某漫画で見たことのあるような、母親が妊娠中に、「白蛇が体内に宿る夢」を見たら、生まれてくる子は神の言葉を伝える巫女になったり、干ばつや疫病などが起これば神や精霊に生け贄を捧げ、占いや儀式によって政治が行われてきたたといった具合に、【夢や不思議なもの=現実】だったわけです。
現在、私たちが幻覚から来た誤ったものとされる「知覚」(幽霊とか神を見たとか)は大昔の人にとっては特権的なもので、今ある宗教のほとんどがそのような体験をした人たちは聖人として大事に崇められています。神の声を聞いたり、海が割れたり、生き返ったりしてきた人を今でも人間は崇めているのですね。
そして、人類が生きてきた歴史の99%以上の時間が、この「不思議体験」と「実生活」を区別することなく生きてきたんです。最近になって区別するようになってきたのです。
そして、人間(ホモ・サピエンス)はこの、「目に見えない神聖な存在」つまり、虚構や空想を信じることによってここまで発展することができたと言える。
どんな動物でも、固有の言語が存在していると言うことは、既に知られている事実で、サルも「食料があるぞ」や「敵が来たぞ」と言う言葉は持っている。
しかし、物質として存在しない、目に見えないもののことを伝える術は持っていなかったのである。一方、人間だけが目に見えないもの、空想や虚構について情報を伝える能力を突然変異的に獲得したのである。
だから人間は「部族の精霊」や「神からのお告げ」などの神聖なもの、ひいては「通貨」「国家」などの概念を共有し、他の動物には真似できないほどの大規模集団での協力を可能とし、食物連鎖の頂点となったのである。
だから、人間にとって「科学的根拠のないもの」を信じ、他人に伝え、実践することは、人間を人間たらしめる核となる活動なのだ。
でも、現在では科学的に証明できないものを否定する。虚構、空想はもってのほか、人間の生き方や行動においても、科学的根拠を求められる世の中になってしまった。
こんな、「科学的根拠」ばかりを求める現代を一蹴するためにシュルレアリスムがある。神聖なもの、不思議なものの面白さをもう一度社会に取り込まないと芸術活動なんかできないよ、息が詰まっちゃうよ。と言うことである。
人間の根本に立ち返って神聖さを社会に導入する、これがシュルレアリスムの主な目的。その不思議体験の存在を信じるのではなく、感じることに特化しているのかもしれない。
また、シュルレアリスムは、主観しかなくなってしまった感覚の中に、客観の感覚を導入し、双方が入り混じった状況を作り出すこととも言えます。
みなさんは、『イーリアス』って世界史で習ったのですが、覚えていますか?ホメーロスという吟遊詩人が、紀元前8世紀ごろに書いた詩作品です。そこには、心の内面を表すような言葉はひとつもなかったらしい。「プシュケー」という単語は普通「魂」と訳されるのだが、『イーリアス』の中では、「血」を意味しており、まだ、「魂」という概念が存在しなかったのではないかと言われている。つまり、肉体と魂は同じものを表していた。
そして、約100年後にホメーロスが書いた『オデュッセイア』に出てくる「プシュケー」が表しているのは完全に「魂」のことだという。つまり、この100年で精神と身体の分離という意識変容が起こり、魂という概念が確立されたとされる。(ホメーロスが100年以上生きていたのかは謎ですが 笑)
現在では、肉体と魂は当たり前のように別々に考えられているから、想像することすら難しいけれど、ずっとずっと大昔の人は、主観的な心のプロセスと外的事象をほとんど区別することはなかった。
簡単に言うと、人間は観察者ではなく宇宙の一部として、宇宙のドラマに直接参加する存在であり、自分はこの宇宙の中の欠かせない一部という認識だったと言える。
この認識が、少しずつ変わって、人間は自分を強く意識し、自分以外の世界と自分の存在を切り離して観察するようになった。
主観と客観は同じあるいは混ざっていたところから、主観と客観が分離した。それによって、実験や観察ができるようになり科学技術が進歩したと言える。だがそれと同時に、宇宙の一部という認識がなくなったため、孤独を感じるようになってしまったらしい(モリス・バーマンのデカルトからベイトソンへを参照)。
シュルレアリスムは、主観しかなくなってしまった感覚の中に、客観の目線というか感覚を取り戻すことでもある。そう、昔の人間が持ち得ていた「ホメーロス的精神」を、主体と客体の融合や、精神と肉体の融合により取り戻すということなのだ。
これを、実際に体験できるように実験したのが「自動記述」と言われるものだ。
「自動記述」とは、読んで字の如く、オートマティックな書き方、すなわち書く内容をあらかじめ用意しないで、かなりのスピードによって、何も考えずにただ筆の滑るままにどんどん書いていく実験のこと。心理学・精神医学上では「自動書記」と表記され、精神医学の治療にも使われる方法である。「自動記述」の実験を行なったアンドレ・ブルトンは精神医学の医者になる教育を受け、第一次世界大戦中に精神科医として従軍していたため、この治療法を知っていた。ブルトンは戦争を体験し、何も生み出さず強烈な魅力を振りまいていた友人ジャック・ヴァシェを亡くし、一時書くことができなくなった自分への治療の一環だったのかもしれない。友人ヴァシェに最も近く、心を空にした状態に身を置く能力のあったフィリップ・スーポーと共に、ブルトンは自動記述の実験を1919年に開始した。
この実験で分かったことは、書くスピードを上げていくことによって文章は、
①主語がje(私)から不特定の人物を表すon(誰か)になり、最終的には主語がなくなる。
②動詞は過去形から現在形へ、過渡的に未来形にもなるが最終的には不定形(原形)となり名詞的な使われ方になる。
つまり
③ばらばらに出てきた名詞(オブジェ)がほとんど前置詞で結びついているような文章となったのである。
普通、文章を書くということは過去に起因しており、過去の体験が文章になる。しかし「自動記述」では書くという行為が、個人の過去や主観から離れていき、「自分が書く」というところから「誰かが自分を書く」あるいは「誰かによって自分が書かれる」という状態になる。これはある種の神がかりの体験と相似しており、シャーマンが精霊からのメッセージを自分の身体を通して人々に伝えたことや、神のお告げを聞いたというものと同じ類の体験をしたということである。
そして、主語がなくなり、ほとんど名詞つまり物(オブジェ)どうしがくっついた文章になり、主観のない客観的な世界となる。「自動記述」により、実生活の筆記という動作から、自分がなくなりオブジェだけが偏在する世界を垣間見ることができるという。まさしく「自動記述」は狂気に近づいていく実験ともいえる。
実際に実験をしたブルトンとスーポーは幻覚を見るようになり、実際に自分を無くす願望(自殺願望)が高まったと証言している。シュルレアリスム研究に造詣の深い巌谷國士氏も自動記述の実験について「目の前にはさまざまなものが脈略のない幻覚のようにしてあらわれ、その人間の主観を侵しはじめるかもしれません」と語っている。
このような一見、オカルト的な「自動記述」であるが、巌谷氏によると「書く」という行為はある程度オートマティックな行為であり、日常的に「ものを書く」ことと「自動記述」の間には程度の差しかないのではないか、ということを指摘している。当たり前のことではあるが、「人間は自分の考えたことを意識しなくても自動的に文章化できてしまう」ということである。今、私が書いているような、意識して文章を書くことは自動化が少ない文章と言えるかもしれないが、それでも時々は手が勝手に動いてくれるような感覚になることもある。そして、この自動化の度合いを高めて極限までいくと自分(主観)がなくなっていき、散失してしまうというのである。
一見、非現実的でオカルト的だとも思える「自動記述」は、自分の存在する現実とつながって存在し、すぐそこにあると感じさせる。人間を自動的に動かす「何か」の存在(未開人においては神聖と言われるもの)を実際に体験し感じることができる実験なのである。
「自動記述」非常に興味はあるが、私は怖がりのため恐ろしくてやったことはない。「自動記述」をやった人の感想や、その実際に書いた文章を集めてその面白い世界に浸るだけで十分であると感じている。
シュルレアリスムは、訳のわからない人たちがなんか変なことやってる!みたいに思っている人が多いかもしれない。私は、そう思っていた。
だが、しっかり知れば知るほど、奥の深い活動だと思う。
私が勉強して噛み砕いて、説明できるのはこれくらいですが、どうでしょうか?分かりましたか?わからない方や、興味が湧いた方は、是非すごい先生の書いた何かしらの文献を読んでみてください。
面白い世界です。実際にやることは、お勧めしませんが。笑
下層音楽家非同盟 いずみ