私は女性だ。
女性という性別に生まれてきてよかったと思うことも、悪かったと思うことも、違和感も不満も特にない。
だが、自分が魅力を感じ、歌ってみたい!と思う歌は、かなりの確率で「おじさんが喋るだけで成り立つ音楽」だったりする。
だけど、私は将来おじさんにはなれない。
つまり、運命的にその曲に出会って「好きだ」と思っていて、一生歌い続けたいくらいに思っているのに、そもそもその土俵にも立つことすらできないのだ。
それでも、どうしても歌いたくて、密かに「おじさんが喋るだけで成り立つ歌」を練習した。
シェイクスピアが言った「恋は盲目」とはこのこと。辞書で発音記号を調べ、フランス語の読みを必死に練習し、意味も入ってきて、言葉もうまくさばけるようになってきた!はっきりいって、近年自分の中でも稀に見るほどの「歌う前の完璧な準備」だった。
クラシック音楽家にとってひとつの曲を演奏すること、リスペクトがあってこの曲を歌いたい!という気持ちの度合いは、歌う前の準備に大きく反映される。
入念な準備をして、「一生、この子を歌っていきます。この子を僕にください!」と、今は亡き作曲家から楽曲を嫁にもらうほどの意気込みだった。
歌ってみた。
物理的に低い声が出ない!
自分が、もともと女性の中でも高い音域の「ソプラノ」という楽器を持って生まれてきたため、物理的に出ない音なのである。
それでも諦められず、頑張って歌うと、喉の疲労がすごい。
もう、使ったことのない喉と首の筋肉まで使って、低い声を出しているのが辛い。出ないんだもん!
でも、さっき作曲家に立てた誓いはこんなもんだったのか!と思いたくなくて、この子を裏切りたくなくて、頑張った。
そもそも、女と自認しているところから、変えるべきだと思い「自分はおじさんだ。」と固く自分に言い聞かせたり、昔見たおじさんの動きや雰囲気を思い出したり、いろんなおじさん喋りの真似をしたり、自分に考えつくできる限りのことをした。
だが、おじさんの声を出すことが最後までできず、自分の喉の酷使に限界を感じ、あえなく「おじさんが喋るだけで成り立つ歌」を嫁にすることを断念した。
「オクターブ上げればいいじゃん!」「キーを変えればいいじゃん!」そんな軟弱な思考で、この曲の最大の良さを潰すわけにはいかないのだ。
だってこれは、おじさんの喋りが最大に生かされる歌なんだから!
サティ!なぜおじさん用にこの曲を書いたの?
ああ!おじさんになりたい!!
下層音楽家非同盟 いずみ