コンメディア・デラルテ

コンメディア・デラルテとは、音楽や演劇を勉強したことのある人なら、一度は聞いたことがあるワードだと思う。

でも、実際何なのか、わかっていない人も多いと思う。

ここでは、コンメディアデラルテがどんなものなのか、ざっくりと解説してみる。

簡単に説明すると、現代の劇とは違う特徴が大きく3つある。

① 台本なし!筋書きのみの劇

② 同じ名前、同じ性格、同じ見た目の人物が、どの劇にも現れる

③セリフよりしぐさ

①に関しては、コンメディア・デラルテが即興喜劇と呼ばれる所以である。

同じ筋書きの芝居でも常に違ったセリフが飛び交うことになり、セリフやしぐさは俳優に任せられる。

だから、俳優たちは演じている役が言いそうなセリフを常にストックしておき、相手の出方に応じてすぐに引き出せなければ成立できない。

まさに、お笑い芸人さながらの名人芸である。

面白いセリフやしぐさを引き出し、役によっては物知りで教養がなければ務まらなかったり、すばしっこい身体能力がなければできない役もある(伝説の役者は70手前で相手の耳に高さまで瞬時に足を上げることが出来たらしい)。

舞台を見てもやることが違っていたりする訳で、これは本格喜劇にはない魅力だ。

②はコンメディア・デラルテで1番の特徴ではないかと思う。

いつも同じ名前で同じ性格、同じ格好をした登場人物が、どの演目にも現れるのである。

例えば、パンタローネという役はいつも老人。そしてケチでスケベ。ヴェネツィアの商人を象った人物だ。

この人物は、いつもお茶わん帽と上衣とズボンは赤色、その上に黒マントを羽織り、黄色い靴を履いている。顔上部のみの半仮面に長く突出したあごひげと、跳ね返った口髭という風貌。(ちなみに、このパンタローネはラテン語で長ズボンの意味で、みんなが履くボトムとしての「パンツ」の語源になっている。)

新作の筋書きになっても、設定以外の登場人物が変わらないため、お決まりの返しでもって観客を楽しませるのだ。

③は、シンプルな理由で、16〜17世紀はフランスの演劇界では劇作家が不足していて、いい台本がなかったために、伝統的にセリフ中心に展開される王道の演劇が面白くなかった。

だから、しぐさで見せる対照的なコメディア・デラルテが歓迎された背景がある。

また、ほとんどの役が仮面をつけたり、白塗りにしているため、舞台上での顔の表情が見えない。

表情のない仮面に表情を与えるため、動かざるを得なかったのかもしれない。

仮面というものは、どこの文化にも大体登場するもので、私は非常にその存在となぜそれが必要だったのかという理由に強く惹かれる。

日本の古典芸能の「能」も必ず能面という小さめの面を被って演じる。

よく、能面は死人の顔に似ていると言われるが、表情を抜き去った能面を付けた役者の手足の動作によって、なぜか表情がないはずの能面が、豊富な表情を見せ始めるのを見たとき、本当にマジックのように感じた。

この感覚を古代から続く仮面の歴史の中で、人間は感じていたのかな?と思ったことがある。

仮面というものは、顔の表情を奪い、演じる俳優の全存在を支配し、仮面が象徴するひとつの型にはまり、人物の定型性を示すと言われている。

西洋の笑いが、「こういう人いるよね」という類型を見せることによって描かれているのと、コンメディア・デラルテが仮面劇であることに必然性が見えてくる。

もう少し、いろんな文献を読んで研究を進めていきたい。

そして、現在も生き続けているコンメディア・デラルテを実際に生で観劇してみたい!

下層音楽家非同盟 いずみ

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