今日、新小学一年生が一生懸命指を使って足し算の計算をしているところを見た。とても懐かしく、そんなふうに計算していたことを、私はすっかり忘れてしまっていた。
ラマチャンドラン博士の『脳のなかの幽霊』の中でもそのような記述があったことを思い出した。
ある紳士が卒中により「100ひく7」や「17ひく3」が計算できなくなってしまった人が紹介されていた。このような症状を持った人は「失算症」と呼ばれる。
「無限とは一番大きな数字」であることや、101と97どちらが大きい数字かという問いには「101の方が大きく桁数が大きい」と理由まで述べられ、おおよそ数や数字の概念はあるのに、「17ひく3」ができない。
また、この紳士は数の概念がないと笑えないジョークで笑うこともできる。
自然史博物館の館長に、この恐竜はどれぐらい前のものか聞いた時に6000万3年と言う答えが返ってきて、その3年は何だ?と聞くと、
3年前、就職した時に6000万年前と教わったから。
というオチで笑うことができて、笑う理由も
「正確さのレベルが違うじゃないですか」とはっきり答えられる。
なのに、簡単な数の計算ができない。
この人が卒中を起こした部分である左側の角回に、加減乗除の数字中枢をを持っていることを意味していると普通考えられる。
また、この失算症患者は手指失認と呼ばれる脳障害を持っていることが多い。
手指失認とは、どの指を指されているのか、どの指に触れられているのか分からない状態のこと。
算数の作業をする領域とどの指かを区別する領域が脳で隣り合っているのかは偶然なのか。幼い子供が指を使って数を数えるのと何か関係があるのか。
二つの機能が緊密に結びついているのか、学習の段階では互いに依存し合っているが、成人すると独立して機能できる。
でも、独立していたはずの機能が、卒中のために機能しなくなったときに、幼い頃に計算を習得するために使っていた「指を認識する領域」も共に失われるというのは、本当に興味深い。
脳はコスパが良いように指と計算を司る部分が隣り合わせになっているのかもしれないし、人間は忘れているだけで、何かを習得したときの過程をしっかり覚えているのかもしれないと思った。
そして、計算と指だけでなく、他の学習過程でも同じことが言える可能性は高い。
だからこそ、先生という存在は、本当に大事な役割を担っていると言えると思う。
多分、怒られて学んだものは、一生面白いとは思えないと思うし、何かと「怒られるかもしれない恐怖」がついてまわるだろう。
脳とは、本当に興味深い。
『脳のなかの幽霊』ぜひ読んでみてください!
下層音楽家非同盟 いずみ