人間国宝に伝統的な歌唱を教わった件

私は日本人で大学で7年間音楽の勉強をしてきたが、その96%は西洋の音楽のことばかりだった。

日本の邦楽について浅はかな知識しか持ち合わせていない。
ほとんど何も知らないのだ。

最近は、邦楽器の方々とご一緒する機会があり、非常に嬉しく思っている。

卒業してから、他学科の方と関われて、ともに音楽を作れることが本当に嬉しい!

東京藝術大学の学部4年間で、日本の音楽について勉強したのは「日本(東洋)音楽史」「山田流のお琴」「日舞」「伝統的な歌唱」の4つだった。

「日本音楽史」では、約140年前に日本政府が設置した音楽取調係が、外国の音楽を学んで日本へ持ち帰り、伝統的な音楽をほとんど打ち捨てて、学校教育の場で西洋式の音楽を取り入れてところからの歴史を勉強した。
ちなみに、東京藝術大学の前身は音楽取調係である。

そして「山田流のお箏」は約1年間習った。その間に簡単な曲を数曲演奏した。そこで覚えていることは、半音上げるためだけに体重を指に乗っけて、非常に力がいると同時に指に深い溝ができるほどの「痛み」を伴うということだった。
お着物を着て優雅に演奏されているが、実は箏の奏者さんはみんな力があるだろうし、痛みに強い。絶対そう。

「日舞」は火曜日の朝9時から浴衣を着付けて、9時半から授業が始まった。日舞専攻の6人程の学生さんが着付けを手伝ってくださって、浴衣と足袋を履いて正座して授業が始まる。日舞専攻の学生さんの中には男性も多く、本当に火曜日の朝は異空間に迷い込んだ気持ちになっていた。
先生の動きが本当に美しく色っぽく、いつも見惚れていた。
足の親指を負傷し半年でリタイヤすることとなった。

さいごの「伝統的な歌唱」という授業は教職資格を取るものは避けて通れない。3日間にわたる集中講義だ。非常に思い出深い授業だった。


「能」「長唄」などの歌唱を3日間で伝授される。ほとんどの学生が西洋音楽について学んでいるため、あまり興味がない人が多かったが、声楽科の人数が多いため、歌うときは真面目にみんな吟じていた(吟じるというのだろうか?知らない)。


前に座っていた男子の同級生がおもむろに、歌唱を教えてくれている先生の名前を検索していた。
すると、「マジかよ」という声が聞こえた。
歌唱を教えてくれていた目の前の先生はどうやら「人間国宝」だった。

大講義場がざわめきだった。

人間国宝に、私たちは伝統的な歌唱を教えていただいた。
最後には、人間国宝の前でひとりずつ吟じた。人間国宝の先生は、声楽科の生徒の声について、とにかくいい声ですね、と褒めてくださった。

何だったんだろう、あれは…


そして、あの時が最初で最後だったが、伝統的な歌唱の授業で東京芸術大学にある能舞台を拝むことができた。


大学院生の舞を見せていただき、感動し涙が止まらなくなった。


舞ってくださった方は女性だった。能という芸術は戦前までは男性のものだった。

今は女性が舞台に上がることもあるが、長い間男性だけのものだった。

歌舞伎もそうだ。もとは、出雲阿国という女性が始めたかぶき踊りが原点とされている。
だが、現在は男性だけのものだ。

私は、大学院生の鬼気迫ったあの素晴らしい舞を忘れることはないだろう。

肌で日本の古典芸能の力、凄さを感じ、納得させられた。

名前も知らない彼女が、今も舞っていてくれたら、いいなと思う。

下層音楽家非同盟 いずみ

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