民族音楽の第一人者である小泉文夫さんの本が大好きだ。
初めて読んだのは今から5年ほど前だったかと思う。
ちょうど、大学3年生くらいの時、自分は何のために歌っているのか分からなくなり、苦しんでいた時期だった。
みんな私より5~6歳若く、才能のかたまりのような人たちのなかで、自分は20代後半となり、声楽家として挑戦することが出来ず、成果の出ない自分に悩んでいたのだったと思う。
大体の声楽家はこのような時期を経て、一端の声楽家となっていくのだが、「私はなぜ歌うのか?」という問いに明確な答えは見つからないと思う。
別に、見つけなきゃいけないわけではない。
だから、ほっておいてもいい。
だが、私はこの苦しい状況を何かしら、ぼんやりとでもいいから知りたかった。
そんなときに出会ったのが、小泉文夫さんと團伊玖磨さんの対談形式で書かれた『日本音楽の再発見』という本だった。
そこには、日本音楽がどのような展開を見せてきたのかということが、わたしでも一読して分かるほどやさしく書かれていた。
小泉文夫さんの民俗音楽学で得た経験や知識と、團伊玖磨さんという戦後からの大変な時代を生きてきた作曲家視点での対話が非常に面白かった。
その中でも、一番心に残っている話が、エスキモーという民族の話だ。
エスキモーと聞くとアイスクリームの老舗メーカーを思い浮かべる方もいるかもしれないが、北極圏のシベリア、アラスカ、カナダ北部、グリーンランドなどのいわゆるツンドラと呼ばれる永久凍土に暮らす先住民族のことだ。
この民族は、過酷な環境で生き抜くために必要だったのが、歌を歌うことなのだ。
日本にも古い労働歌は残っているが、彼らもそれに似たものを持っていた。
「捕鯨」のための音楽だ。
エスキモーは動物と魚しか本来は食べない(手に入らなかった)ため、くじらは必要なたんぱく源だった。
年に数回ほどしかくじらを捕るチャンスはない。
そのため、くじらがいつ来ても集団としてのタイミングが合うように、毎日みんなで歌を歌うのだ。
年に数回しか訪れることのないくじらを捕るチャンスのために、毎日欠かさずみんなで歌を歌うのだ。
次のくじらが捕れるのは3か月後かもしれないし、半年後かもしれない。
だから、1週間や1か月その歌を歌わなかったからって、すぐ死に追いやられるわけではない。
だが、そのチャンスがいつ来るかわからない。
明日かもしれない。
くじらが近くに来た、その時に集団としての息が合わなければ、大きな獲物は取ることが出来ない。集団はチャンスを逃し、タイミングが合わない事が死に直結する。
集団が持つリズムや、習性、言葉、身体の使い方、ねばりなどが音楽に色濃く反映されている。
歌を歌うことが、集団を生きるほうへ導いてくれる。
国によって音楽がこんなにも違うのは、先住民族エスキモーのように、生きるために共有せざるを得なかった、身体の持つリズムなどを集団で共有し、その生き方を後世にも伝えるためなのではないかと思った。
わたしは、自分がなぜ歌うのか、その意味についてはまだよく分からない。
ましてや、どうして歌うのかという問いを投げかけられても言葉にはできない。
だが、この本を読んでぼんやりと、人間と音楽のあり方の原点がわかり、感覚として腑に落ち、納得させられた。
エスキモーには男性皆が作曲をする風習があり、著作権も存在する。
気になる方は『日本音楽の再発見』読んでみてくださいね!おもしろいですよ!
下層音楽家非同盟 いずみ