ノーベル賞受賞者の9割以上が「アート愛好家」

2020年10月に出版された神田房枝さん著の『知覚力を磨く〜絵画を観察するように世界を見る技法〜」という本を、皆さんはご存知だろうか?

私はこの本が発売された去年の秋、絶賛論文執筆中だったため、「買ってもなあ…結局読めないし…」と思い、本屋を後にした。
しかし、夜寝る前も、朝起きてからも、この『知覚力を磨く』という本が頭から離れず、結局翌日に、同じ書店へわざわざ足を運び、買った本だ。

例の如く、私は本を買うとすぐに二宮金次郎スタイルで読み始める。

非常に面白く、街の中、家に帰る電車の中、そして玄関に入ってからも立ち尽くしてしばらく読んでいた。

だが、目の前のやるべきことを優先させるため、本棚にしまっておいた。

論文が終わってからも、しばらく忘れていたのだが、ふと「なんかつまらん」「なんか読みたい」と思った時に本棚を眺めていたら、忘れていたこの本が目に止まり、体の中のギアが3段階くらい上がった。

忘れていたが、めちゃくちゃに読みたかった本だ。

早速読んでいくと、面白い事実がたくさん出てきた。

そのひとつが、タイトルにある通り
「ノーベル賞受賞者の9割以上がアート愛好家」というものだった。

ミシガン州立大学生理学部教授ロバート・ルート=バーンスタインらのチームが行った調査で判明した衝撃的なデータである。

科学者が所属する集団の中で、アートやクラフトの趣味を持つ比率は、
「一般的な米国市民」
「米国科学アカデミー」
「王立協会」
「ノーベル賞受賞者」
と、所属団体の格式が上がる順に高くなっていく。

その中でも、ノーベル賞受賞者の9割以上が美術を趣味としているという結果が出ている。

また、アートに関心のある科学者の方が、そうでない科学者よりも2.85倍高い確率でノーベル賞を受賞しているという結果が出ているそうだ。

これは、多くのビジネスの成功者が美術品の収集家であることからも、絵画鑑賞という「あらゆる方向から知覚し、解釈する」ことが、非常に重要だということがわかる。

……まぁ、ノーベル賞を受賞したり、ビジネスでの成功が人生の全てではないのが、面白い人、面白いことをやってきた人は、自分が感じる「知覚の価値」を十分に理解し、あらゆる視点を持つことを「自分にはない他人の視点」についても慎重に扱い、尊重する。

イノベーションの原典はいつも「他人と違う解釈」から生まれる。

世界中で最も有名な画家であるパブロ・ピカソは、ブラックとともに前衛芸術であり彼の作風の代表となった「キュビズム」を生み出した。

キュビズムとは、それまでの美術史における絵画の書き方である、
「ひとつの視点から描く」ということを打ち破り、
「一枚の絵の中に多角的な(マルチな)視点」を導入した。

ブロック玩具で有名なLEGO社の命運を分けたのも、代表取締役だったストープの知覚だったそうだ。

当時のデータは
「LEGOブロックで遊ぶ子供の85%は男児である」というもので、当時のLEGO社のマネージャーたちは
=「女児は生まれつきブロックで遊びたがらない」
と結論づけていた。

だが、ストープの知覚は同じデータを見ても違っていた。

彼の解釈は
「ユーザーの85%が男児なのは、LEGO社がまだ『ブロックで遊ぶ女児顧客を獲得する方法』を見つけ出せていないからだ」というものだった。

「半分満たされたコップ」と解釈するか、
「半分コップは空いている」と解釈するか。

言葉にすればそれまでだが、知覚はコントロールできない。

だが、この『知覚力を磨く』では、絵画をじっくり見ることで、知覚が鍛えられるというプロセスが描かれている。

今までの経験、知識によって、人間は未曾有の出来事に反応していくのだが、
【よく見る】ということが、どれだけできなくなっていることか!

自分が身をもって感じている。

ある本を読んで(どの本だったか、あるいは何かのセミナーだったかもしれないが忘れてしまった)人間の知覚に対してびっくり仰天したことがある。

それは、
人はごみが落ちているのを見た時に、
「あ、ゴミだ!」と知覚し、「拾う」「ゴミ箱に捨てる」などの行動をして対処することについてだ。

ゴミを見て
「あ!ゴミだ」と思っても、「後でやろう」とか何も行動しないでいると、人間は「落ちているゴミ」を知覚できなくなるそうだ。

知覚しても、しなくても、行動に移さないことはだんだん知覚できなくなるのだそう。

恐ろしい!

また、生まれつき盲目の方への実験で、
郵便ポストの口のようなものを提示し、「このポストの投函口は角度が変わるのですが、角度に合わせて投函してみてください」と言うもの。
被験者は「できるわけないじゃないですか!」と憤慨するものの、やってみるとぴったり角度に合った方向に投函できるのだそうだ。
(ラマチャンドラン著『脳の中の幽霊』より)

人は、目で見ているようで、本当は別の部分から物事を見ているのではないか?

説明できること、メカニズムがわかっていることは多いが、実はそれだけではないのではないか?
データだけを信じるのではなく、そのデータには描かれていないことをよむ力が、非常に重要だと、思う。

なかなか難しいけれど。

全然できていないけれど。

物事をよく見て、観察して、自分が感じたことをもっと尊重してあげようと思う。

今の時代は、正解が最短で求められる。

一般的に通底していることが、本物で、正しいのかは
きちんと自分の目で見て、感じて、自分の頭で考えて、行動したいものだ。

いろんな解釈、知覚のために、知識はあるといろんな捉え方として広がっていくから、面白い。

言葉でうまく表せなくても、頭の中にぼんやりと霧のように、細かい粒が渦巻く。

それらが互いに結びつき、面白いことが生まれる。

本は、読書は、本当に面白い。

ぜひ、神田房枝さん著の『知覚力を磨く』を読んでみてくださいね!

下層音楽家非同盟 いずみ

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