カマンベールチーズの時計

サルバドール・ダリの柔らかな、溶けたような時計の絵を、皆さんは見たことがありますか?
『記憶の固執』という作品だ。

今日はこの作品について。

わたしがこの絵に出会ったのは、はっきりとは覚えていないが、幼いころだったと思う。

テレビに一瞬だけ映ったのをたまたま見たとか、そのレベルだったと思うが、はっきりと覚えている。

寝ても覚めてもしばらく付きまとってきた、だらんと垂れた柔らかな時計。

正直に言って、怖かった。

ムンクの叫びくらい、気味が悪かった。

時計は、それがプラスチックでできていようが木でできていようが、私にとって「硬いもの」だった。

その当たり前のことが、あの絵によって幼い私の感覚がゆがめられ、全ての時計が柔らかくなってしまうのではないかと、家の時計や、幼稚園の大きな時計をじっと観察していた。

というより、次見た瞬間に溶けやしないかとずっと見張っていた時期があった。

ダリは美を「食べられるものだ」と主張していた。

とある書籍でちらっと読んだ。

「美は食べられるものではあるが、さもなければ存在しないであろう」と。

意味不明であるが、この言葉を知った時に『記憶の固執』を思い出した。

ダリは『記憶の固執』についてこのように語っていた。

 その夜、彼は映画に行くのを直前で取りやめた。ガラは友人たちと外出してしまったので、ただ一人家に残ってテーブルの前に坐っていた。そのとき、夕食のカマンベールの強いにおいが残っていた。彼は長い間、柔らかいものについて考えていた。そしてアトリエに行って、明かりをつけて中を見回した。目の前にポルト・リガトの風景があった。透明で悲しい光に照らされた岩と枝を折られて葉のない一本のオリーブの木があった。それはこれから描かれる驚くべきイメージを想像させたが、しかし何を描いていいのかはっきりしなかった。ところが、明かりを消そうとした瞬間に、その何かがひらめいた。
 ガラ(ダリの妻)が帰ってきた時には絵は完成していた。ダリは早速それを見せた。彼女は驚きのあまり全身をこわばらせた。ダリは尋ねた。
「この絵は3年で忘れられるかい」
ガラは答えた。
「一度見たら絶対忘れないわ」

二度と忘れられなくなる絵だ。

カマンベールチーズの香りに包まれながら、夜家にひとり残された子供のように、恐怖におびえながら時計を眺め、ダリはガラの帰りを待っていたのかもしれない。

『記憶の固執』の溶ける時計には、カマンベールチーズの香りと柔らかさ、そしてガラがいないさみしさの恐怖のようなものが、私に対して、恐怖の念を植え付けているのかもしれない。

あまりにも、物事や作品に向き合うと、大変である。

うちの家族は涙腺ゆるゆるに出来上がっているため、一度家族で美術館へ行って家族全員号泣して出てきたことがある。

ダリの絵には彼のトラウマが多く描かれており、じっくり見ると体調が悪くなったりめまいがすることがある。

ダリの絵は魅力的だが、ほどほどにしたい。

自分も引きずられないよう、元気に食べて、踊り、勉強し、韓国ドラマを見ようと思う。

下層音楽家非同盟 いずみ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA