ヴェルレーヌの《月の光》という詩の革命

フランスの詩人、ポール・ヴェルレーヌについて最近、調べている。

演奏家というのは、演奏するうえでどうしても必要なため詩人や作曲家や時代背景を調べることになるのだが、その人生を追体験しているようで面白いのだ。

もちろん、苦しくなることも多い。

というより、その追体験は演奏とセットになるため、本当に体験したかのようになるし、それぞれの詩人や作曲家が持っていた感覚を、歌うことによって自分の身体で味わうことが出来る。

そう、本当に追体験の旅なのだ。

ヴェルレーヌについては前回の記事で少し人生を振り返っていったが、ひとことで言うと、波乱万丈で壊滅的な人生だった。

ヴェルレーヌは経済的に裕福な家庭に生まれパリ市役所で働く。

若い頃は特に大変な不細工で、オランウータンと呼ばれていた。

私としては、日本人にもよくある顔だと思うが、西洋ではなかなかない顔だったのだろう。

そのため、女性にモテた経験はなく、目が合うと背けられるほどだった。

そんな人生で、初めて自分に優しい憧れの眼差しを向けてくれたのが、ドビュッシーの初めてのピアノの先生であるモーテ夫人の娘マチルドだった。

16歳のマチルドは、自分の兄から借りたヴェルレーヌの第一詩集『土星の子』という作品を読み、作者に対してあこがれを抱いていた。

ヴェルレーヌはすぐに恋に落ち、結婚することになる。この時書いたのが第三詩集『よき歌』だ。これはマチルドへの愛の詩集だ。

だが、ヴェルレーヌはマチルドの妊娠中には、もう、ランボーに夢中になっていた。

第二詩集がかの有名な『艶なる宴」である。

この詩に作曲家はたくさんの曲を付けた。

特にその中の「月の光」というタイトルの詩に、ドビュッシーは2回も曲を付けている。

何がそんなに2回も作曲したくなるのだろうと考えた。

私の見解だが、ヴェルレーヌの〈月の光〉はかなり変わった詩なのだ。

まず、設定が今までになかった。

100年前の絵画を見た感想のような詩なのだ。じっくり絵を観察して、事実を述べたてて、最後には絵に引き込まれて行っているかのような、絵を五感で感じているワードが効果的に使われている。

詩というものは象徴派が出てくる前まではロマン主義という、自分の内面を自由に一人称で語るものばかりだったし、その反発から高踏派という厳格なものもうまれた。

そう、この「月の光」100年も前の絵を見た第三者の目線で書かれているのだ。それが面白い。

だからか、前奏部分が長い。

フォーレも同じ詩で歌曲を書いているが、非常に前奏が長い。

絵全体を鑑賞しているからか、時間軸が対象と語り手との間にあるからか、はたまた美術館の中でふと目に留まる時間なのか、歌い出しまでの前奏が長い。

ドビュッシーの月の光も前奏が長い。

本当に革命的な詩だと思う。

下層音楽家非同盟 いずみ

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