笑いに向き合った1年間

私は、修士論文で「エリック・サティと笑い」という論文を書いた。

昨年12月に無事提出できた。

エリック・サティの説明を簡単にすると、現代音楽の祖であり100年も前からBGMの先駆けとなる、音楽の実用化を目指した人物。

今、音楽が心地よいものとしてどんな人にも寄り添っているが、それを予言していた最初のクラシック音楽家である。


彼が考えたのは《家具の音楽》と言うもの。

それまでの、意識して聴く音楽、耳をすませて聴く音楽を廃止し、人の会話を邪魔せず、ナイフやフォークなどの食器の音を和らげたり、沈黙を心地よい物に変えてくれる、椅子や家具のようにただそこにあるだけで心地の良い音楽を目指した、最初の作曲家なのだ。

ここでは詳しく説明はしないが、かなりの変人でもあった。

サティは、天才だったと思う。

その音楽を演奏すれば、誰もが納得する。だが、名門音楽学校(パリ・コンセルヴァトワール)を中退し、長い間、居酒屋のようなカフェやキャバレーでの日雇いピアノ弾きの時代が長く、その作曲形態も、音楽の歴史を踏襲することのない独特なものだったため「クラシックの王道」とは認識されていないのが事実だ。

「あれはポップスだから」と言う言葉を何度も聞き、サティを愛する私はよくがっかりした。

唯一の国立の芸術大学で、素晴らしいアーティストが集まっている東京藝術大学でも、そうだった。

この認識を、どうにか変えたかった。

サティの音楽はなぜ、クラシックの王道として扱われないのか「軽音楽だから」と研究の対象にされないことに疑問があった。どうしてこのような扱われ方をするのか?ということを私が証明しようという情熱に駆り立てられて、執筆に取り組んだ。


昨年は、新型コロナウイルスの蔓延により日常が日常でなくなり、私たち歌を歌うことがメインの学生にとっては本当に何もできることがなくなった。

もう、今までのように音楽の仕事は数年は来ないぞということはアホな私にもわかった。

だから、この論文を書籍にするぞ!という意気込みで、文字通り「生活の全てを犠牲」にして論文に取り組んだ。昨年は5月から12月まで、一に論文、二に論文、三四がなくて、五に論文だった。

サティを弁護するために必要だったのが、アンリ・ベルクソンという哲学者の「笑い」という哲学書だった。

哲学書は好きな方の人間だったが、本当に内容が難しく、控えめに言っても30回は読んだ。本当に大変だった。一年中、ベルクソンの「笑い」を読んでいた。

最初は一番古い林達夫氏訳の「笑い」を10回ほど読んだが、昔の日本語が読みづらくて泣いた。

それから2016年に出版された増田靖彦氏訳に切り替え、20回読んだ。

いつまでたっても内容が掴めず、自分は頭が悪いなぁと思いながらも何度も繰り返し読み込み、それでもベルクソンが何を言っているのか掴めなくて泣いたこともあった。

そのほかの書籍も70〜80冊は読んだ。

大変だったがそのおかげで、サティについての一つの結論に至ることができた。

サティの音楽にはどれも「おかしさ」がある。

そして、悲劇より喜劇が低俗だと扱われるように、サティの音楽に対して人は「おかしさ」を感じるため「低俗だ」と扱われるのだ。

でも、唯一無二の存在を目指す「悲劇」同様、「喜劇」も人々の実生活に近いものを目指す尊い芸術なのである。

最後は、先生方に「もちろん東京芸術大学の教授ですし、このサティの哲学、音楽の良さをわかってくださいますよね?」と言うゴリ押しをして、ちょうど二ヶ月前に学位審査の論文口頭試問も演奏も終わった。

結果は、やはり先生方は柔軟な考え方をお持ちで、サティの新しい私の考え方を理解してくださった。

真剣に向き合えばわかってくださると言うことに感動した。

アカデミックな場で「ポップス」のような扱われ方をしている作曲家を取り上げるということは、正当な評価は得られないだろうと半ば諦めていたし、なかなか攻めたプログラムでリスキーだったが、初志を貫いてよかった。

本当に、指導してくださった先生に感謝です。

下層音楽家非同盟 いずみ

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