日本人の身体性

日本ののこぎりは引いた時に切れる。西洋ののこぎりは押した時に切れるそうだ。

そして、日本人は西洋ののこぎりでうまく木を切ることが出来ないらしい。

押す力が弱いらしい。

この話を後輩にしたら、「確かに日本人って、引く力を多く使うスポーツが得意ですよね、柔道にしろ、レスリングにしろ」と言われた。


逆に、押す力は背中の筋力がものを言うらしい。ボクサーのパンチ力は背筋が全てで、この筋力は生まれ持ったものでほとんど鍛えることができないらしい。

反対に、引く力は体の前側の筋肉を使っているそうだ。

日本人が太ももの前側が発達している人が多いのは、このためなのか?

農耕民族で道具がクワやカマなど、主に引いて使う道具だったからなのか。

引いた時に切れる日本刀と、突いて制する競技であるフェンシングという違いもあるのか。

そんな、前側の筋肉が発達した日本人が西洋の音楽を演奏するとき、かなりおかしなことが起こってくることが多いと思う。

まず、言語の重要な核である母音がうまく発音できない。日本語の母音は浅いとよく言われる。

これは、姿勢を少し変えるだけでも劇的に変わる。少し前のめりな体を後ろ目にするのだ。それだけで母音が深くなり、それらしく聞こえる。

また、西欧の言語の特徴の違いでも音楽は全く変わってくる。

例えば、ゲルマン系の言語であるドイツ語、英語で歌うときは、拍より前に子音がきて、拍に母音がくる。

これが、ラテン語系の言語であるフランス語、イタリア語などは拍ぴったりに子音がくる。

これはしゃべっている時でも注意深く聞いていれば、聞こえてくる。

この各言語の特徴的な法則を無視すると、とたんに歌は歌えなくなり、頑張って歌っても苦しくなるから面白い。その言語が持っている特徴に逆らわないで歌うことが歌い手になるための第一歩である。

だから、フランス人の第九(ベートーベン交響曲第9番)は全く違う音楽に聞こえて、面白かったと先生はおっしゃっていた。

各国交響楽団の演奏にも(器楽だけのオーケストラだが)子音と母音がしっかりある。そして、それぞれ少しづつ違っている。少しマニアックかもしれないが、こんな形でクラシック音楽の同じ交響曲を聴き比べても面白い。

のこぎりの話から少し脱線したが、歌で使われている言語を扱う民族の身体性と、自分の培われた文化と持ちあわせている身体性を理解して、自分の身体の感覚を向こう側に合わせて私は歌を歌うように心がけている。

「郷に入っては郷に従え」ではないが、身体性が違うことを理解してもっと背骨や背筋を使ったり、その国の言語が持つ特性をしっかり分かって歌おうと、毎日頑張っている。

下層音楽家非同盟 いずみ

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